夏の甲子園2日目、徳島商業は強豪の愛工大名電を破りました。2回戦は智弁学園を対決します。
この徳島商業を率いるのが森影浩章監督です。
森影浩章監督ご自身も高校3年生の時に甲子園に出場しました。この記事では森影浩章監督の経歴とエピソードをまとめてみました。
森影浩章監督のwiki
徳島商業高校の森影浩章監督の経歴は以下の通りです。
名前:森影浩章
生年月日(年齢):1963年5月29日(60)
高校:徳島県立徳島商業 (*)
大学:日本体育大学 (**)
現役時代のポジション:センター(外野)
徳島商業の監督:2010年4月~現在
(*)監督が高校3年(徳島商業)の時2番センターで夏の甲子園出場
(**)大学卒業後、那加高校、富岡西高、小松島高の監督を経て母校徳島商業の監督に。30年間の監督で6回の甲子園出場を果たしています。
【監督としての甲子園出場記録】
・2001年春(小松川高校)
・2003年夏(小松川高校)
・2006年春(小松川高校)
・2008年春(小松川高校)
・2011年夏(徳島商業)
・2023年夏(徳島商業)
徳島県出身で徳島県の高校を6回も甲子園に出場させているというのは間違いなく名監督ですね。
森影監督は甲子園での戦いに関して次のように語られています。
「相手がどうあれ、森投手を中心に守って守って最少失点で抑えて、1点ずつ積み重ねるという徳島大会同様の戦いをしたい。」
森影監督の現在のチームでの戦い方そのものですね。1点のブレも感じません。いい意味でも悪い意味でも、森煌誠投手あっての徳島商業と感じました。
森影浩章監督のエピソード①(ピッチャーの育成方法)
これが全ての投手に当てはまる訳ではありませんが、スピードのない投手には「横手投げで制球と緩急で抑える」方法もあると教えておられます。
上手投げで120キロ後半~130キロのスピードだと高校野球で打ち頃のスピードとなります。実際横手投げに転向させて、開花する選手がいたそうです。
確かに高校野球のピッチャーでは横手投げも多いですね。低めへのコントロールをつけることが
成功のカギとなりますね。
森影浩章監督のエピソード②(量より質の練習スタイル)
森影監督は練習では「量よりも質」の練習スタイルを採用し、休みも定期的に取るようにしているそうです。
また新しい取組も積極的に練習に取り入れているようです。(具体的にはプロテインの摂取や長尺バットを採用したバッティング練習など)
バッティングの練習ではイチロー選手のように前に大きく体重移動して打つ練習などもしているとか。これは通常よりも前でボールをとらえるポイントを掴むための練習で、これによって打つポイントが増え打率アップに繋げることを狙っているそうです。
森影浩章監督のエピソード③(奇跡の逆転劇)
2005年の小松島高校の監督時代の、秋の四国大会の準々決勝(高松商との対戦)での出来事です。
延長11回表、高松商業の攻撃時にファーストの選手がトンネルして2点勝ち越し点を奪われました。
延長で2点差をつけられ、敗色濃厚となり小松島高校は窮地に追い込まれました。
その裏の攻撃前に、森影監督は「あいつがエラーして取られた点なら取れない点ではない。こんなんで負けるはずないやろ、追いつけるぞ!」と選手たちを鼓舞しました。
エラーした選手はチーム一真面目な子で、明るくてムードメーカーでした。「そんな選手のエラーで負けさせたくない。」森影監督は強く思いました。
その思いは選手たちに伝わり見事な逆転劇でサヨナラ勝ちしました。生徒たちは当時を思い返し「先生がそう言うんなら間違いないと思った」と語っていたそうです。
森影監督はこうも選手たちに話すそうです。
「練習では打てない選手がチャンスで打ったり、ミスしても試合に勝ったりするのは一生懸命やっているから(そういうことが)起きる」
まとめ
この記事では徳島商業の森影浩章監督の経歴とエピソードをまとめてみました。2回戦の智弁学園でも森煌誠選手の好投と、森影浩章監督が勝利監督になることを期待しています。
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